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星座と神話

澄み渡った夜空を見上げると、天空にはたくさんの星が輝いています。 明るい星や暗い星、その星の並びを眺めていると、自然と何かの形に思えてくることがあります。 そのような思いが伝わってできたのが星座です。 やがて星座は古代ギリシアに渡り、星座にまつわる神話が生まれました。


星座の歴史

オリオン座 夜空には全部で88の星座が輝いています。これは国際天文学連合が1930年に定めたもので、 それ以前は民族や国々によって、星座の呼び方や形が異なっていました。

天空で輝く星の並びをどのように結び合わせるのかは、見る人の自由ですから自然なことです。 民族や時代によって物事の見方が違うように、星座の形や数も場所によって異なっていました。

星座が生まれたのは、古代バビロニア時代だったと言われています。 くさび形文字で書かれた遺跡には、星座を象ったものが確認されています。 古代から、人間は星の並びに何かを感じ取っていたようです。

また、ナイル川の流域を中心としたエジプト文明でも星が注目されていました。 農作物の耕作時期を知らせる暦が必要だったためです。 ナイル川は、毎年ある時期になると大氾濫を起こしましたが、 おおいぬ座のシリウスが東の空から上ってくる時期を目安として、人々は氾濫の時期を予測していたと言われています。 古代エジプト王の墓にも、シリウスやその他の星座の姿が刻まれています。


神話との結びつき

地中海で貿易を営んでいたフェニキア人が、古代バビロニアの星座を古代ギリシアに伝えました。 そこで古代ギリシアの神話と星座が結びついて、 今の私達が知っている星座と、それにまつわる神話が誕生しました。

ギリシア神話は、詩人ホメロスらによる叙事詩によって起こりました。 それ以後、ギリシアの吟遊詩人が星座神話を多く取り扱い、ギリシア神話と星座の結びつきが強くなっていきました。 それと共に星座の数も整理されていきました。


プトレマイオスの星座

古代の星座をまとめ上げたのが、ギリシアの天文学者プトレマイオスです。 彼は星座を48にまとめました。黄道上に12星座、北天の21星座、南天の15星座です。 おひつじ座やこぐま座、おおいぬ座といった現在の私達も使っている星座が、 彼の著書「アルマゲスト」にまとめられています。

このプトレマイオスの48星座は、大航海時代と呼ばれた近世になるまでずっと用いられてきました。 その年数は約1500年にもなります。 もちろん、その後も変更は加えられたものの、彼がまとめた星座は現在も生き続けています。 現在の星座の原形となったのが、このプトレマイオスの48星座というわけです。

※プトレマイオスの48星座は、英語読みではトレミーの48星座と呼ばれています。


ラカーユの星座

15世紀に入るとヨーロッパは大航海時代に突入します。 大型船を利用して遠洋航海を行い、遠方の国々と貿易を行うようになりました。

赤道を越えて南半球まで航海に出ると、今まで知られていなかった低緯度地域の星や、 南半球の星まで航海士は目にするようになります。 プトレマイオスの48星座にカバーされていない星々が表れたのです。 この頃、星座が改めて見直されることになりました。

この時の星座作成の中心となったのは、プトレマイオスがカバーしていなかった南半球の星々です。 まず、バイエルが、著書「ウラノメトリア」に南半球の星座を新しく書き入れました。 その後も、ケプラーやハレーといった著名人によって、星座が加えられていきました。

この時、新しく出来た星座をまとめたのがラカーユです。 ラカーユは18世紀のフランスの天文学者の一人で、南半球の星座を設定したことで有名です。 けんびきょう座やコンパス座など、現在も使われている南天の星座をまとめ上げました。 アルゴ座という巨大な星座を区分し、アルゴ座の分割に貢献したのもラカーユと言われています。


現在の星座

星座が勝手に新設されると混乱し、天体観測や位置観測に支障が発生します。 また星座の境界については、あまり重要視されていなかったため、 暗い星がどちらの星座に属するかが問題になりました。

そこで第一次世界大戦後、混乱していた星座と星座境界線を、国際天文学連合がまとめました。 現在使われている88星座は、この時に決定されたのです。

現在、黄道星座は12、北半球には28、南半球には48の星座があります。 プトレマイオスの48星座は、伝統的に長く使用されていたのですべて保存され、 当時の神話と星座の結びつきを現在に伝えています。

参考文献:星座の神話