日本最古の望遠鏡

1608年にオランダの眼鏡技師リッペルスハイが、望遠鏡を発明してからまもなく、 日本にも望遠鏡の仕組みがもたらされました。 レンズ研磨を最初に習得したと言われる濱田弥兵衛らによって、 日本の望遠鏡製作が始まります。

日本最初の望遠鏡

日本最初の望遠鏡は、慶長18年(1613年)、東インド会社のジョン・サリスが、 徳川家康に献上したものと考えられています。

残念ながら、家康に献上されたこの最初の望遠鏡は現存していませんが、 望遠鏡が発明されてから数年で、日本に、当時最新の光学機器がもたらされたという早さに驚きます。

義直望遠鏡

名古屋市の徳川美術館に、尾張徳川家の藩主だった、徳川義直愛用の望遠鏡が収蔵されています。 日本で現存する最古の望遠鏡として知られ、シルレ型望遠鏡としても、世界最古だと考えられています。

シルレ式とは、ボヘミア地方のカプチン派修道士シルレが考案した光学系です。 シルレ式は、1613年にケプラーが考案したケプラー式を改良した光学系で、正立像が得られました。

義直の望遠鏡は、1650年頃の作と考えられていますが、いつ誰が製作したかはわかっていません。 この望遠鏡の保存状態は極めてよく、いまでも良く見えるということです。

国友一貫斎の望遠鏡

日本の望遠鏡と言えば、国友一貫斎の名前がよく上がります。 国友一貫斎は、江戸時代の幕府御用達の鉄砲鍛冶屋でした。

1820年頃に、グレゴリー式の反射望遠鏡を知った国友一貫斎は、1832年頃から望遠鏡の製作に取り掛かります。 2年後の1834年、初の純国産反射望遠鏡が国友一貫斎によって、作り出されました。

ちなみにグレゴリー式は、スコットランドのジェームズ・グレゴリーが考案した地上用望遠鏡です。 ニュートンがニュートン式反射望遠鏡を発明する5年も前のことですが、 グレゴリー式は、主鏡に凹面の放物面鏡、副鏡には凹の楕円面鏡を用いたため、光軸調整が難しく、視野が狭いという弱点がありました。

当時の反射望遠鏡の鏡には、金属鏡が用いられていました。 鏡の鋳造は困難を極め、国友一貫斎をもってしても、時間がかかったといいます。 割れにくく、曇りが生じない鏡を求めて、国友一貫斎は試行錯誤を繰り返したのでしょう、 最終的に錫33%を含有する合金が鏡材として選ばれました。

金属を反射望遠鏡として使うには、光を反射するまで研磨しなければなりません。 金属鏡の研磨は非常に難しく、国友一貫斎がどのように研磨していたのかは、いまだ謎です。 また、鏡面テスト方法も伝わっておらず、彼の秘伝の技は謎に包まれています。

国友一貫斎は4台の望遠鏡を作ったとされ、近年の鏡面検査結果でも驚異的な精度を示し、 未だ曇り一つなく、実際に使用可能ということですから、国友一貫斎の熟練の技には舌を巻きます。 なお、この望遠鏡は、上田市立博物館にて、一般展示されていました。

一貫斎の天体観測

江戸時代最高の性能を有する望遠鏡を製作した国友一貫斎は、この望遠鏡を使って天体観測にも勤しみました。 彼の観測結果は「日月星業試留」として残されており、日本でも自ら望遠鏡を製作して、 天体観測に勤しんだ人がいたことを我々に伝えてくれます。

ガリレオやハーシェルをはじめとした西洋人が書籍で紹介されますが、 彼をはじめとした日本の先人の偉業は、もっと評価されてしかるべきかもしれません。

参考:月刊天文Vol70「我が国最古の望遠鏡と一貫斎が見た世界とは?」